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関西森田の会 報告書

Vol.12  2015.7.3

【関西森田の会概要】

 

 

目的

  • 関西圏での森田療法家の育成と親睦

  • 関西圏での森田療法に関する勉強会、セミナー、イベント等の開催及び紹介

  (森田療法の研究と実践ノウハウの共有、高度化)

  • 関西圏での森田療法のコア施設づくり

対象者

 森田療法に興味がある全ての方

運営

  • 年会費:なし

  • 活動費:実費

  • 代表:仲野 實(ナカノ*花クリニック)

  • 事務局:ナカノ*花クリニック(TEL:072-234-0879)矢野

 

【第12回 関西森田の会・講習会の報告】

 

■ 今回の関西森田の会では浅香山病院の森泉智男さんに、この間積極的筋弛緩法から始まった関西森田の会の身体シリーズの総括として森田正馬における“生きる身心”というテーマで話をしていただきました。

 

■ 関西森田の会ではこれまで「森田療法における身体」をテーマに種々の勉強を行ってきましたが、そもそもなぜ身体なのか、こころとは何か?体とは何か?を皆で話し合ってみるところから話が始まり、そして森田療法の『身心同一論』へと話は進んでいきました。ざっくりとした内容は下記の通りです。

 

 森田正馬は身心について「身心は単に同一物の両方面であり、その表裏の見方を異にするまでのことである」とし、身心同一とは、なり切っている状態、没我の状態、身心一如、すなわち“純なる心”であるとしています。

 “純なる心”とは、自己本来の性情、自ら欺かざる心、人間に本来備わった身心同一の心の状態であり、理知的にも感情的にもどちらにも偏らず、調和のとれた生活を送っている状態であると森田先生は言っております。

 神経質者の症状に翻弄されている状態は身心同一が崩れた状態であり、治療においては心身を通した体験を積み重ねることで調和のとれた生活態度になるよう導いていくことを主眼に置いていました。森田正馬が自身の療法は再教育であるという考えを持っていたのはまさにこの点です。

 

 論点となったのは没我体験です。ですが・・・何というか、その時点ではまとまった答えは出ませんでした。私はその点に関し終了後ももやもやした感じが残っていたのですが、色々調べたり話を聞いたりしていく中で、『我執の病理』[北西憲二2001 p268]に入院者の日記の中にある森田の講和として、非常によくまとまった文章があったのでそのまま載せておきます。

「純なる心とは、柳は緑・花は紅でイヤはイヤ・好きは好き・あるがままの心をいうのである。

いやいやながら、仕方なしにやっていれば、この所に工夫も発明もできる。イヤをイヤと感じないような修養をするから、益々人間味がなくなり、間違いだらけになるのである。すなおな心とは、事実に服従することである。…先ず事実ありのままに認めることが必要である。先生は弟子よりエライ、之が事実である。この事実を認める時、従順となる。事実には、決して飛躍という事がない。自分が忽然と悟りを開き、急にエラクなったという風に思うことは、気分の上のことで、客観的事実ではない。一歩一歩修養を積んで、エラクなるので、自分でエライと独り決めはダメである。」

我をなくし(無我、没我)我を発揮する(正の欲望の発揮)、このときのわたしはどのようなわたしであろうか。前回の講習会を受けて、仲野實先生が身体概念を3つにまとめました。①肉体としての身体(物質的)、②精神としての身体(パーソナルスペース)、そして③“からだは空だ”です。これは前回講習会でも取り上げられた「自然・森羅万象とつながった、または劈(ひら)かれた身体」です。これを今回の話と合わせると、“無我の身体”と表現してもよいかと思います。東洋的な人間論における身体概念というものは概ね③の無我の身体、自然とつながった身体をベースとしており、それは森田療法においても同様であるということでよいかと思います。

では具体的にどう・・・というところに話をもっていくことはやめておきます。

 

■ ここで私が言いたいのは「具体的にどうすればいいんだ!」「これはその概念に当てはまる?当てはまらない?」などと議論することが必ずしも良いとは限らないということです。

森田療法における最終目的は、より良く生きる、これに尽きます。森田療法特有というわけではなく、さまざまなものの目指すところではありますが、この点を常に意識しておかなければ部分最適という罠にかかってしまうことでしょう。

部分最適、あるいは全体最適という言葉は経営学においてよく使われますが、一般的に知られている諺に「木を見て森を見ず」があります。この諺は一部分だけ注目していてはいけないという意味ですが、法則(自然の摂理、原則、真理など様々な表現があります)としては「部分最適の総和は全体不最適」です。

有名な本ですが、『7つの習慣』という本があります。内容はここでは割愛しますが、この本の中で「現代は技巧的なもの、即効性のあるものがもてはやされ、根本的な概念(この本においては原則)の扱いがおろそかになりがち」という話が語られています。私はこの本を読んだ時に、森田療法との共通性を随所に感じたのですが、よくよく考えると森田の言う自然という概念はこの本でいう原則と同義ではないかと思います。どちらの理論も「具体的にこのように行動しなさい」というものの少ない(ゼロではない)、柔軟性があり、結果的に部分最適を否定するものとなっています。

とかく人は視野が狭くなりがちなものですが、森田療法には視野を広げる工夫が随所にちりばめられています。この文章をつくるときにも単語の意味に引きずられながらだいぶ迷走しましたが、そこから離れたことでなかなかうまくまとまったという印象です。ところで、そもそも『関西森田の会』という名称には療法という文字が入っていませんが、これは治療という枠組みにとらわれず森田療法を幅広く捉えようという思いでこのようになっています。森田の会発足から3年経とうという今ですら自分が単語に捉われていることに気づかされ苦笑いしています。しかしながらあえて『療法』を外すことで、より普遍的な『生き方の指針』を模索しつつ、治療法に還元できればいいなあと考えています。これからも関西森田の会をよろしくお願い致します。

   (事務局・矢野)

 

【第13回 関西森田の会・講習会予告】

 

■ 今回森泉さんは講習の随所で問題を投げかけ、皆で話をするという方法をしましたが、これがとても楽しく、次回からの関西森田の会でも、これを取り入れ、個人の発表という部分を減らして、テーマについて話し合うという形でやってみようかと思います。

 

■ 森田療法には「外相整いて内相自ずから熟す」という言葉があります。健康な人の行動を真似をすれば健康になるという意味ですが、ここで一つの疑問があります。森田の生きた時代と現代とでは健康のとらえ方が違うのではないかという事。もう少し広げれば、森田正馬の生きた時代と現在の違いについての検討はどこまで行われているのかという事。病態が違うという話はよく聞きますが、より根本的な違いがある可能性はないだろうか、という事です。一例を挙げれば、森田の時代は現代とは違い保険制度が充実する前であり、診察代は自費での支払いだったそうです。この事実だけでも現代における森田療法との違いがいろいろ考えられます。様々な違いを認識し、従来の枠組みを広い視野で再検討することにより、森田療法をより深く理解することができると思います。

 

■ 次回は新しい試みとして、発表者は決めずにやってみます。参加者の皆さんに何か一つ、当時と現在の違いを探してきてもらい、皆が持ち寄ってまとめていきましょう(闇鍋形式)。重なってもかまいませんので、気軽に参加して楽しんで下さい。

 

☆第13回 関西森田の会講習会  

テーマ:「森田の生きた時代と現代の違いを皆で考えよう」

日時:平成27年8月22日(土)16:00~18:00

場所:岡本記念財団事務局会議室

☆ 各自、当時と現在の違いをひとつ挙げられるように用意してくる

 

第13回 関西森田の会例会(親睦会)

日時:講習会終了後

場所:岡本記念財団事務局会議室

会費:1000円程

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