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関西森田の会 報告書

Vol.13.3  2016.3.2

【関西森田の会概要】

 

 

目的

  • 関西圏での森田療法家の育成と親睦

  • 関西圏での森田療法に関する勉強会、セミナー、イベント等の開催及び紹介

  (森田療法の研究と実践ノウハウの共有、高度化)

  • 関西圏での森田療法のコア施設づくり

対象者

 森田療法に興味がある全ての方

運営

  • 年会費:なし

  • 活動費:実費

  • 代表:仲野 實(ナカノ*花クリニック)

  • 事務局:ナカノ*花クリニック(TEL:072-234-0879)矢野

 

 

【第13回 関西森田の会・講習会の報告】

 

■ まずは報告が大変に遅れてしまったことをお詫びいたします。

 

■ 昨年の8月22日に、『森田の生きた時代と現代の違いを皆で考えよう』ということで話が始まりました。発表者を特に決めていなかったということもあって、曖昧な形で始まりましたが、森泉さんの資料をきっかけに大正期の市民生活に話題が移り、たとえばこたつの話(すなわち暖房のあり方の違い。27度に温度設定をしてボタンを押すだけの現在と、「たどん」に火をつけ、それをこたつに入れて布団を暖め・・・という一連の作業が必要であった昔とそれが持つ意味)、あるいは映像や情報を通して、または理論や常識を通じてしか物事を理解しようとしない現代と、そうしたものの一切を排除して、「ものそのものに触れることの大切さ(牧)」の話、あるいは大正期の学童には遊びの時間がたくさんあったが(仲野毅)、今の子供たちは塾などで忙しいということの持つ意味、等々。話が盛り上がり、あっという間に4時間がたっていました。

 今回の講習会をまとめれば、① 4時間も経過した ② まとまった結論は出なかった ③ 全員が参加した(発言した) ④ 流れは流動的だった ということになりましょうか。流動性の高い(筋書きのない)話し合いの場で、全員が発言し(全員が自分の頭で考え)しかも深い内容の話ができたのはよかった。しかし、4時間も経過してなにもまとまったものが出なかったのは残念なことです。会の運営様式はこれでいいとしても、少しずつでもいい、何らかの次につながるまとめなり課題なりが出るようにしたいものです。この間2年をかけて「森田の身体論」に至った、関西森田の会の名にかけても。

 

■ 欠席された桑田さんから『不易と流行』という文章を頂いております。「不易:変わらないこと、流行:その時々の体(てい)・・・・・その本(もと)は一つなり」という芭蕉の言葉です。桑田さんは『「からだ自体」は不易だろう。しかし、いま私たちは「自分でからだを感じること」をあまりしていないのではないだろうか。そして「あたま」もまた同じく、体感(実際の動き・行動の感覚)の土台がないままに、一般的な常識や学校で習ったように、または新聞やテレビやスマホで知ったようにしか考えられなくなっていないだろうか』と言います。

 

■ ところで、森田療法における不易とは何でしょうか。ここからは私たち(仲野及び矢野)の考えたことで、講習会の場で話されたことからの更なる考察であるので、講習会の報告というより講習会の外延です。

 

森田療法の不易その① 実生活に根ざした「東洋的合理性」。森田正馬は常にあたまを使うことを指示し、何も考えずに常識的行いをすると「お使い根性」といって叱責したという(森泉)。その時森田は、西洋的合理性と東洋的合理性を嗅ぎ分けていたのではないか。ならば、東洋的合理性とは何か。これは次回への課題です。

 

森田療法の不易その② 治療は、まずはゆっくり一人で寝て「休息」をとること。病気になればまず休息。これはきわめて当然のことであり、きわめて合理的なこと。森田はそれを「絶対臥褥」ということで強調しています。ただ身体の治療においては当たり前かもしれませんが、当時の精神の治療において画期的だったのではないでしょうか。このあたりは心身一元論ともつながる感じがします。

 

森田療法の不易その③ 感じを高め、物の性を尽くす。そのためには牧さんが言ったように、情報や映像あるいは理論や常識、そうしたものの一切を排除して(または「それはそれとして」)ものそのものに触れることかもしれません。私たち(仲野及び矢野)は、『レヴィナスの他者論』(鶴真一)を読んでいます。アプリオリに意味作用を持つ他者(私たちはレヴィナスの言う他者を人間だけに限定せず森羅万象に拡張して考えています。森羅万象に拡張することの功罪も踏まえてのことですが)は、顔を通じて私に問いかけます。私たちの行動のすべては他者を前提としたものでありますから、他者の顔を感じることのできる感じを高め、他者への応答としての「私固有の表現」を明確にし、もって物の性を尽くしていきたいと考えています。他者は視覚や触覚を通じて認識されるものではありません。私たちは、他者を知的に認識し理解しようとする西洋的な姿勢の内に認識主体の傲慢と暴力性を見ています。私は他者の顔を感じ、「私固有の表現」でもってこれに答え、これを繰り返しながら「他者の他者性:わからないということ」を知ってゆくのだと考えています。私仲野が他の論文で言った「他者の回復」とは実はこういうことであり、こうして私は他者に対して謙虚になってゆくのです。これは道元が『正法眼蔵』でいった「自己を運びて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」であり、これが他者との東洋的な関係のあり方ではないかと考えています。

 (文責・仲野)

 

 

【第14回 関西森田の会・講習会予告】

 

■ この報告の中で、私(仲野)と矢野がすでにスタートを切っていますが、第14回講習会のテーマは「森田療法の不易とは」という形で始めたいと思います。口火切りの役は桑田省吾さんと牧隆平さんにお願いしていますが、参加される方は各々少なくとも1つ、「森田の不易はこれだ」を考えてきてください。引き続き次回の講習会でも、誰が縁者となり、誰が視聴者になるというのではなく、参加者全員が自分の頭で考え、自分の口でしゃべり、そして各々好きなものを持ち帰っていただく(いくつでも自由です)。そういう形を取りたいと考えていますので、よろしくお願いします。

   (文責・仲野)

 

☆第14回 関西森田の会講習会  

テーマ:「森田療法における不易:変わらないこととは何か」

担当: 参加者全員。口火切り役として桑田省吾さん、牧隆平さん

日時:平成28年3月26日(土)16:00~18:00

場所:岡本記念財団事務局会議室

 

第14回 関西森田の会例会(親睦会)

日時:講習会終了後

場所:今回は近くの居酒屋で行います。店はその場で決定

会費:3000円程?

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