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関西森田の会 報告書

Vol.17  2017.2.8

【関西森田の会概要】

 

 

目的

  • 関西圏での森田療法家の育成と親睦

  • 関西圏での森田療法に関する勉強会、セミナー、イベント等の開催及び紹介

  (森田療法の研究と実践ノウハウの共有、高度化)

  • 関西圏での森田療法のコア施設づくり

対象者

 森田療法に興味がある全ての方

運営

  • 年会費:なし

  • 活動費:実費

  • 代表:仲野 實(ナカノ*花クリニック)

  • 事務局:ナカノ*花クリニック(TEL:072-234-0879)矢野

 

 

【第15回 関西森田の会・講習会の報告】

 

■ 第13回以来、関西森田の会では、もっぱら森田療法の「不易・流行;変わらないこととその時々の体(てい)」についての話が進んでいる。

 今回は京都の岡本重慶さんから、江渕弘明(エブチ コウメイ)先生の話を聞き、改めて森田療法の不易流行を考えた。

 京都の禅寺、相国寺に、江渕弘明という凄い内科医がいた。

 彼は、生涯の大半を禅修行に打ち込み、同時に、幅広く後進に森田療法を指導した。

 

■ まずは流行: 

 森田正馬と同じ高地に生まれ(大正9年)、少年期から神経症に悩む。

 中学生の頃、森田正馬医院に入院し、森田療法を体験。

 旧制高知高校入学時(17歳・昭和8年)に肺結核、その4年後(昭和12年)に咽頭結核になり、退学して療養。

 神経症もさることながら、青年期に10年余にわたる長年月の結核の病苦を味わい続けた日々の体験は、彼の人生において神経症の苦悩と同等に深いものであったと思われる。

 40歳(昭和31年)で京大医学部を卒業。41歳で第三内科に入局。44歳で高知へ帰郷し、実家の江渕診療所に勤務。そして晩年に相国寺僧堂を出て帰郷し、73歳で江渕医院、74歳で土佐市民病院に勤務。82歳・平成10年2月に逝去。結核を抱えながら大正、昭和、平成と生き、天寿を全うした、その人生はあっぱれである。(この時代、戦争と兵役を免れたのは、幸いかな?)

 昭和43年(52歳)より、宇和島の大隆寺で2年間の禅修行を行った後、京都・相国寺の僧堂に入り、梶谷宗忍老師の下で禅修行に入る。以後20年に及び禅修行を続ける。

 その間、相国寺の座禅会(智勝会)に来た学生たちに森田療法を指導。

 また、禅に関心のある森田療法家同士として、鈴木知準(彼も禅修行を体験)と交流し、鈴木診療所の機関紙「今に生きる」に10回寄稿。

 鈴木知準と江渕弘明は『遮断』(森田正馬はあまり言わなかった)という考えを共有した。(『遮断』については、後で考察)

 また、小田原にいた、和田重正という在野の教育者とも関係を結んだ。彼は、十代より人生に悩み、森田正馬のもとに入院。小田原市で「はじめ塾」、山北町の山中に親子で入寮する「一心寮」を設立し、当時の“かくあるべし”という道徳教育に反対して、子供たちに“同行”して、人生や生活を重んじる「同行教育」を提唱する。「くだかけ(意味は、親鳥が小鳥に餌を噛み砕く)会」や「家庭教育を見直す会」の活動を進め、それは、今も存続している。さらに、和田重正の思想の普及を図る「まみず会」が名古屋に作られ(中山信作)、江渕弘明は、これらとも深く関わった。

 京大の学生時代に、相国寺の座禅会(智勝会)で、江渕弘明に森田療法の指導を受けた、関西の教育学者・松田高志(神戸女学院大学教授)を、江渕は和田重正に紹介する。松田高志は和田を継承して、「関西くだかけ会」を作り、奈良県御所市に「関西くだかけ農園」を開く。こうして、江渕弘明は、教育界とも深く関わっていく。

 名古屋に、「名古屋くだかけ会」や「東海まみず会」(今飯田 保)があり、水谷啓二の「生活の発見」史を読んで勉強する「名古屋啓心会」(杉本二郎、椛島武雄)があり、水谷啓二の急逝で長谷川洋三の意を受けて「生活の発見会・名古屋集談会」ができる(昭和46年)と、江渕はそこでの講師、助言、指導に関わり、それは、昭和60年頃まで続く。こうして、江渕弘明は、名古屋とも深い関わりを持っていく。

 

■ そして、不易:

「能動ハ迷イ、受身ハ真」

:これは道元(正法眼蔵)の「自己をはこびて万証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」と同じか。森田の「自然服従」か。

「世間ハ『ウラ』、世ハ『モト』」

:人間関係は裏、現実に起こったこと・factsは真。これは、森田の「事実唯真」か。

「世間事ハ捨テオキ、出 世間」「キョロツクナ」

:世間ごとは、捨て置いて、世間から出よ。人為で何とかしようとするな。これが、江渕弘明の『遮断』の思想。

「なむあみだぶつト、ブチカマス」「なむあみだぶつハ、一切ノ行ヲ摂ス」

:これも江渕弘明の『遮断』の思想。森田の「不問」、あるいは「大死一番」か。

「『モト』ヲ培ヘバ、『ウラ』自ズカラ調フ」

:だから『モト』を培うことに専念せよ。

「森田療法ハ『モト』療法」

:森田療法は『モト』を扱う療法である。

「禅、森田道、本質全ク一ナリ」

:禅も森田道!も、本質は同じく一つである。

 ある時、ある会社の物故者慰霊祭に老師代理として金襴の袈裟衣を着て式典に臨むことになった江渕弘明、「わしは、恥かしい。猿回しの猿のようじゃ。断ろうか」。後輩の禅師、「常日ごろ、人には、あるがままとか、恥ずかしいままとか、なりきるとか、思い切るとか、キョロつくなとか、言って、ご自身こそ思い切ったら?」と言われ、「うーん、そうじゃなー」と言って、金襴の袈裟衣を着て慰霊祭に行ったとのこと。

 

■ そして、議論。

① 「なむあみだぶつ」とぶちかませ!とはすごい。「なむあみだぶつ」なんて、ありがたい言葉で、(おならのように)「ぶちかます」なんて下品なことをするなんて、江渕弘明は、とても(関西)森田的だ!と歯科医の中野さん。

② 同じ京都に「禅的森田療法」を掲げる二つ(三聖病院と江渕弘明)があって、互いに交流がなかったとは、不思議ですね。

③ 「生活の発見会・名古屋集談会」の杉本二郎氏は今も健在で、江渕先生のことを「とても控え目な方で、ひけらかすような講演や講和はなく、個々の質問に対しては、的確で具体的な助言をされた」という話から、・・・概念化すると、事実から離れる、のは当然として、言葉にしてしまっても、事実から離れる(桑田さん)。江渕弘明はあまり言葉を残していない。そういう点で、本当に凄い人だったのかも?

④ 「能動は迷い、受身は真」というのは、(森田道も)合気道も同じと、京都洛南病院から初参加した前田さんが言い、とっさに、岡本記念財団の事務所が、合気道の道場に早変わり。正座する前田さんの両腕を抑えつけようと「能動」的に攻撃すると能動者はアラッ!不思議。皆、跳ね飛ばされる。前田さん曰く、「能動は迷い、受身はその迷った力に従って動くだけ」。・・・で、挑んだ皆は、自分の力で跳ね飛ばされるのか?ウーン。

⑤ 『遮断』について、いろいろと話は弾む。絶対臥褥も『遮断』なら、禅修行も『遮断』。しかし、書斎に籠って本を読もうとすると読めない。電車の中とか、喫茶店とか、適当に人のいるところの方がよく本が読める。適当な刺激が、寧ろ『遮断』になることもある。また、例えば目をつぶるとかして、ある感覚を『遮断』すれば、別の感覚が冴えるということもある。江渕弘明の「ぶちかまし」とか、「捨て置き」という『遮断』(不問)を超えて、我々の生活の中で「遮断」は必要不可欠なことである。 日々の生活における『遮断』を、もっと踏み込んで考えていってもいいのではないか。だのに、何故森田は、あまりそれを言わなかったのか。そこには、何か思惑があったのか、等々。

⑥ 「森田療法は森田療法以外のことをもっと学ぶべき」と岡本先生は言う。それに呼応し森泉さんも、鈴木知準が森田正馬から「精神科を学ぶ前に身体科を学べ」と言われたエピソードを披露。森田療法以外に真剣になることにより森田療法に深みがでてくる。また視野狭窄を防ぐこともできる。江渕宏明は好例と言えるか。

⑦ 大事なのは、その人の生き方。神経症と重度の結核療養体験を経て、禅修行と森田道を生き抜いた江渕弘明は、やはりすごい人。ここから学べることは、森田を目指す個々人が、本当に森田正馬の言ったこと、ないしは、言おうとしたことを考えながら、生きているかどうかということ。そうした振り返りが、常にあるかどうかということ。そうした個々人の生き方を抜きにして、森田は語れない。江渕弘明が言うように、まさに『モト』を培うことが肝要。『モト』を培えば、術・技法、自ずから調う。

 

 数年前の事、京都での森田療法セミナーで、演者の中村敬先生に「あなたにとって、森田療法とは何ですか?」という質問が寄せられたことがあった。どう答えられるのかと、ハラハラしていると、中村敬先生曰く、「私にとって森田療法は、命です。この仕事(慈恵医大の教授?)をしていると、いろいろと難しい問題に出くわします。そんな時、森田療法的に考えると、糸口が見えてきたりするのです」と。

 

■ 最後に、この間6回にわたり行われてきた、関西森田の会・森田療法体験会の報告があった。当日の朝に撮影された映像が、テレビに映された。河南町弘川寺の駐車場から始まり、村の中の狭い道を通って古民家へと至る。門のくぐり戸を入り、土塀が映され、高い天井の土間に入る。和室を順に紹介し2階の部屋も台所も風呂場も紹介される。

 毎月一回(平成29年1月は14,15日。2月は、11,12日)ナカノ・花クリニックないしは弘川寺の駐車場に集合し、映像に移った古民家へ行き、それぞれに作業(掃除とか、食材の買い出しとか、夕食作りとか、ストーブの薪の用意とか)をし、夕食を共にする。食後は、薪ストーブの炎を見ながら団欒し、後は、各自持参の寝袋で寝る。翌日の朝は、朝食を作ったり、弘川寺に行ったり、西行の墓参り(弘川寺は西行終焉の地として有名)をしたり、庭の草引きをしたりして過ごし昼前に解散。費用は夕食と朝食の食材だけなので、約1000円。

 

 治療でもなく、自助組織でもなく、また誰が誰を指導する、ないしは指揮するわけでもなく、ただ集まって、各自が思いつくままに作業し、話をし、休む。

 

 作業と休息。自分になりきる。臨機応変。今回話題になった『遮断』と集談。自然服従。あるがまま。事実唯真。純な心。等々、体験会はこうした森田の言葉を、各自で体得する会であり、それを今ここで言葉にするのは難しい。まさに体得でしかない。

 

 関西森田の会の皆様の参加をお待ちしています。

 

(文責・仲野)

矢野追記

 

 江渕弘明先生は森田療法を「森田道」と表現しましたが、このことについて同じ「道」である柔道を題材に少し考えてみようと思います。

 

 柔道の創始者と言われる嘉納治五郎は柔道家としてだけでなく教育者としても高名な方で、柔道を創始する時、「術」ではなく「道」、単に技を修得するだけでなく、天下の大道を学び自己完成を目指すものとしました。そして「講道館」はその教育場として位置づけました。嘉納治五郎は「精力善用」「自他共栄」の2つを柔道の精神と位置づけ、修業を4つの項目、形・乱取・講義・問答で構成しました。ちなみに現在の灘中学校・高等学校の校是が「精力善用」「自他共栄」だそうです。柔道が単なる技術ではないことが証明されていると言えるでしょう。

 ところで嘉納治五郎氏は日本人初の国際オリンピック委員会委員となった人としても有名ですが、『柔道がオリンピックの競技になる日が来たら、柔道は台無しになるだろう』と語ったことがあるそうです。おそらく競技性が強調されることにより、単なる技の競い合いとなることを懸念したのでしょう。このことに関して2つのトピックが浮かんだのでそれぞれについて考えていきます。

 1つ目は日本で起きた指導者による暴力事件です。少々昔になりますがかなり大きな事件になりましたので覚えている方もいらっしゃるでしょう。いきすぎた勝利至上主義、修養不足のため暴力による指導以外の適切な選択肢をもてなかった、と解釈していますが、この事件に対して国際柔道連盟が『嘉納治五郎師が教えた柔道の精神とも理念とも無関係である』と声明を発表したことは興味深いことです。起こるべきではない事件ですが、柔道を根本から見つめ直すきっかけとなっていればと思います。

 2つ目は「ジャケットレスリング」です。タックルを中心としたスタイルで、海外の選手が大会で勝つために考えた結果生み出されたものです。これについては『これは柔道ではない』という指摘もありますが、優れた指導者が不足している新興国の成長過程において見られる現象か、という指摘もあります。もしかしたら嘉納治五郎は柔道が競技となった時こういう現象が起こることをイメージしていたのかもしれませんが、競技化されオリンピック競技になったことで国際的な地位を得たという側面もあり、一概に競技化が悪かったとも言えません。またその状況にあっても一本勝ちを狙い、柔道の精神を体現しようとして、なおかつ結果を残した選手もいます。必要なのはその精神をいかに育むか、またその土壌を作るかにあるでしょう。

 

 さて、話を森田道に移しますと、私自身は森田療法はまさに治療法を超えて、森田道としてこそ価値のあるものだと考えています。しかし柔道の修業と同様、学ぶことと体験することの2つの軸が両方備わってこそ“道”といえるとすれば、必要なのは森田の精神及び理念の育成および指導者の養成などを行う「森田道の講道館」でしょうか。

現在関西森田の会では不易流行をテーマにしておりますが、それはまさにその精神及び理念を学ぶということにほかなりません。また体験会は森田療法の精神を各自で体験する会です。いずれはこの会も「森田道の講道館」あるいはその前身となった会、と言われるくらいにしたいですね。

 

 

嘉納治五郎『伝統とは形を継承することを言わず、その魂を、その精神を継承することを言う』

 

(文責・矢野)

 

 

【第16回 関西森田の会・講習会予告】

 

■ 次回の講習会では森田療法における『遮断』をテーマとし、特に講師は決めず(一応ナカノ*花クリニックとしてある程度用意しますが)、それぞれが持ち寄ってより深めていきたいと考えています。現状のポイントとしては、

①日常生活の中でそれぞれが感じた遮断を持ってくる(全員)

②鈴木知準の遮断(任意)

③江渕弘明の遮断(岡本重慶先生?)

④森田が『あえて使わなかった』として、その思惑の推察(任意)

こんなところでしょうか。皆様の参加をお待ちしております。

(文責・矢野)

 

 ☆第16回 関西森田の会講習会

テーマ:「遮断について考える」

担当:なし、あるいは全員

日時:平成 29年 3月 18日(土)16:00~18:00

場所:岡本記念財団事務局会議室

 

 第16回 関西森田の会例会(親睦会)

日時:講習会終了後

場所:岡本記念財団事務局会議室

会費:1000円程

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