最終更新日 令和3年1月4日
関西森田の会 報告書
Vol.21 2018.1.22
【関西森田の会概要】
目的
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関西圏での森田療法家の育成と親睦
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関西圏での森田療法に関する勉強会、セミナー、イベント等の開催及び紹介
(森田療法の研究と実践ノウハウの共有、高度化)
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関西圏での森田療法のコア施設づくり
対象者
森田療法に興味がある全ての方
運営
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年会費:なし
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活動費:実費
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代表:仲野 實(ナカノ・花クリニック)
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事務局:ナカノ・花クリニック(TEL:072-234-0879)矢野
【第19回 関西森田の会・講習会の報告】
■ 第13回以来関西森田の会では、森田療法における「不易・流行」すなわち変わらないもの(不易)と、その時々に変わる「体」(流行)について議論を重ねています。今回はいよいよその核心部分に近づいた感がありますが、近づけば近づくほどに、それを言語化することの難しさを感じます。これは、報告が遅くなって、年を越してしまった一因でもあります。今回のテーマも「森田療法と自然」ということでした。10名の会員が岡本記念財団の会議室に集まり、喧々諤々の議論をしましたが、その文章化はとても難しい。
■ ちょうどの時、岡本記念財団の『メンタルニュース No.35』が届き、そこに市川光洋先生の文章がありました。今回はその文章を援用しながらこの報告書を作成するのが適当かと考えました。以下はその引用です。
「でもね、市川君、森田療法はやっぱり外来ではできませんよ。治療の『場』がありませんから」(藍澤鎮雄先生の言葉)
「入院森田療法の『場』には、二つの要素があります。空間としての『場』と、絶対臥辱、作業機、退院準備期などの時間的な『場』とがあります」
「神経症の患者さんには、「精神交互作用」と「はからい」とによってつくられた、特有の精神的な『場』があり、その『場』の中で、患者さんは閉塞感に苦しみ、出ようとしても出られずに、焦りを感じたり、パニックに陥ったりします」
「外来森田療法を重ねて行くと、自分が感じていた不安が実は、自分自身のつくった予期不安であったことが理解できます」
「しかし、この方法は早晩行き詰まります。なぜならば、これは神経症の形成原理をもとにした、仮説検証型の〔第1種変化〕だからです。〔第1種変化〕とは、いわば因果律型の変化であり、神経症の病理である知の病理に対して、治療者も患者さんも同じレベルの知の方法で対抗することになっています」
「この知の原理が行き詰まったところから、森田療法のもう1つのより本質的な〔第2種変化〕が現れます」
「〔第2種変化〕とは、知を越えた悟りの変化であり、因果律を超えた非論理的な変化です」
「変化の起こる場の中にいながら、変化の予測ができない、予測の検証ということ自体が意味をなさない変化です」
「外来森田療法は、知に基づく〔第1種変化〕と、知を越えた〔第2種変化〕と、そして間接的には〔森田療法的な対話(日常生活の中で、人間性の事実や外の世界との関わりを育む)〕による長期的な変化からなっている」
■ 市川先生の言う〔第2種変化〕、知を越えた、因果律を越えた〔第2種変化〕こそが、森田療法の「不易」ではないかと考えます。それを欠いた森田療法はあり得ない、とも考えます。
関西森田の会では、知を越えた、因果律を越えた、あるいは言葉を越えたこの「第2種変化」を、この間一貫して模索してきました。そして藍澤先生の言う意味での『場』の必要性を感じ、月1回「田舎の古民家で衣食住を工夫して過ごす」森田療法体験会を企画しました。
体験会では「考えたことが残らない。感じたこともサーッと流れてゆく」(毅)。
体験会では「言葉は必要でない」(森泉)。
「一人で雨の森へ行き、切株に腰を下ろしてタバコを吸っていた時、いろいろな雨の音が遠近感をもって聞こえた。とても良い感じだった」(毅)。
体験会では「事実(その時、その場で、経験的所与として見出されること)のみが真実となる」。これすなわち事実唯真。
通路になっている石畳の草抜きをしていた森泉さんに「何故草抜きをしたか」と問うと、「意識していなかった。また何かを期待してもいなかった。ゴミが落ちていたら拾う、そんな感じだった」
「初めて参加し、「何したらいいの?段取りはどうなっているの?」。(誰も答えない)仕方がないので自然に手を付けた。気が付いたらご飯ができていた」(福井)。
「すっかり片付けたはずの和室の棚に、二つの日本人形が残っていた。違和感があるのでそれも片付けると、今度は棚がさみしくなった。押し詰められて窮屈になっている神棚を、二つに分けることにした。六つの神さんを二つに分けることにした。榊を入れる花立もあるので、結構時間がかかった。「ご飯ができました」と声がかかるまで熱中していた。その間4時間。おかげで出雲大社とも伊勢神宮ともお稲荷さんとも気持ちが通じるようになった。森田療法で言う「なりきる」を初めて体感できた(仲野)。
「体験会に参加して、偶然に起こった些細なことを楽しめるようになった」(塔本)。
体験会とはこのような会です。
■ 森田療法は机上の空論ではない。生活し体験する中で、どう考えどう工夫するのかが大事。森田療法は本を読むだけでは駄目。議論していても駄目。集中して作業する中で、工夫し、気づき、そして自分の中の自然な声に気付く。行動は何とかなるが、気持ちや感情はどうしようもない。感情の法則(あるいは「感情の事実」)に気付くことが大事(森泉)。
それでは「感情の事実」について森田正馬はどう言っているのか。森田正馬の言葉をそのまま引用する。
「死の恐怖、幽霊、妖怪に対するおそれのように、みな私たちの自然本能的の感情である。これに対して、「人は死を恐れるがために、かえって生をまっとうすることができない」とか、「幽霊は世に存在するものではない」とかいって、知識的説明でその恐怖を除去しようとするのは、思想の矛盾であって、けっしてそのとおりになるものではない。「死、恐れるに足らず」というのは、普通論理であって、客観的の批判であるけれども、死をおそれるということは、主観的に、私たちの感情における事実である。知識によって、この感情の事実を無視、没却しようとすることは、常識的の誤った考えである。私はこの感情の事実を正しく認めて、私たちの正しい知識をここに応用して、はじめて正しい治療上の見解を定めることができると信ずるものである。」
「毛虫を見て、私たちはこれを不快に感じ、嫌悪しおそれることは感情の事実である。けれどもこれが毒気を吐くものでなく、人に飛びつくものでないということは、私たちの知識によって知ることである。毛虫を見てたちまち目を閉じて逃げ出すものは、感情に支配されるものである。必要に応じて、これに近寄り、これを駆除することのできるのは、理知の力である。すなわち不快のままに、毛虫に近づくことのできるのは、感情と知識との両立であって、あるがままの当然の行動であり、正しき精神的の態度である。これに反して、もし毛虫に対してまず嫌悪の感情を排除し、好意を起こしてその後で毛虫に近づこうと努力するものがあれば、これが思想の矛盾であり、悪智であって、強迫観念の成立にもっとも大切な条件となるものである。」
■ ドイツ語圏の人々が森田療法を知ることになった最初の論文を書いた近藤章久の本『心の軌跡―禅・森田療法・精神分析・念仏― 』で、〔第三層〕という言葉が出てくる。その本から引用します。
「僕は、人間の心を説明する都合上、浅い層から深い層まで三層あるとしました。一番上は、われわれが生まれて、生きていると意識する層。この層はその人の意識を形成し、そして現実的に生きて生活し日常的な事柄や社会的な活動をしている(肉体的、機能的な)層です。その時、嫌みを言れたり、馬鹿にされたら、不愉快になり怒りや憎しみが起こり、褒められると喜びや嬉しさの感情が出てきます。ここまで(感情的なの)を、第二層とします。普通の生活においては、この第一層と第二層さえ持っていれば大体生きていけます。しかし、人間が存在している根底には〔第三層〕があります。第一層と第二層だけだと、喜びや悲しみに翻弄され、非常に不安定な生活をします。〔第三層〕に達すると、第一層、第二層に束縛されない、生き生きとした自由な存在になります。それを、井筒俊彦さんは「言語以前」と言っていますが、まさに、言葉にはできないけれど「こころに響くもの」、個々の人間も含んで、個々の人間を越えた自然というかとても大きい力です。森田正馬が言っている「自然服従」とか、「あるがまま」とかは、俗的なものから離れたこの精神的な働きを言っていると思います。絶対臥辱は非常に大事なプロセスだと思いますが、残念ながら現在の森田療法では、ほとんどそういう『場』がないので、どうしても言葉で説明することになっています。」
市川先生の言う、知を越え、因果律を越えた〔第2種変化〕、
近藤章久の言う〔第三層〕、
井筒俊彦の言う〔言語以前〕(森田では「純なこころ(考える前の考え)」や「初一念」などと言う)、
そして森田で言う〔自然服従〕〔あるがまま〕〔事実唯真〕。
皆同じことを言っているのです。再び森田正馬の言葉を記す。
「恐るべきを恐れ、逃げるべきを逃げ、落着くべきを落着き、臨機応変ピッタリと人生に適応し・あてはまって行く、人間そのものになりきった有様を大悟徹底と言い〔事実唯真〕というのである。」
■ 森田療法の習得には、体験が必要です。体験によって体得することが、必要です。講義を聞き、議論をし、学会発表を何回すれば資格が与えられるという仕組みに、私は疑問を感じます。市川先生しかり、近藤章久もしかり、また現在森田療法の指導的立場におられる先生方も、皆そうした実際の体験をお持ちです。体験の『場』がなくなれば、次の指導者をどう創り出してゆくのか。ロジャースにしてもロールプレイという実技が必須ですし、フロイトやユングでも自分がクライエントになって、年余にわたる教育分析を受けることが必須です。この実技というか、実際の体験をする『場』を省略すれば、講義と議論だけの実技の無い柔道(考えられませんが)みたいなものとなり、10年も経たないうちに消滅してゆくでしょう。
関西森田の会では、浜松医大で実際の体験をお持ちの森泉さんと共に、体験会を始めて約1年半ですが、今回〔第2種変化〕とか〔第三層〕とか〔言語以前〕とか言えるのも、ひとえに体験会での体験のおかげです。皆様の参加をお待ちしております。
(文責 仲野)
【第20回 関西森田の会・講習会予告】
先日開催された第35回日本森田療法学会において発表した関西森田の会の3名の発表を聞きたいという仲野先生の要望があったため、次回の関西森田の会ではその3名が担当し、学会での発表を行うことになりました。
直前に仲野先生のした資格云々の部分については、一名は実戦経験豊富な重鎮、残る二名は体験会参加者であり認定資格を持たない者ですので(ちなみに私に関しては一切視野にすら入れておりません)、ご心配なく(?)聞きに来ていただければと思います。
(文責 矢野)
☆第20回 関西森田の会講習会
テーマ:「Re学会発表」
担当:岡本重慶「五高出身者たちの社会教育と森田療法」
桑田省吾「公教育の中に息づく森田療法」
矢野拓哉「森田療法体験会の可能性」
日時:平成 30年 2月 3日(土)16:00~18:00
場所:岡本記念財団事務局会議室
☆第20回 関西森田の会例会(親睦会)
日時:講習会終了後
場所:お初天神近くのお店
会費:3000円程度?
☆毎月体験会やっています!詳しくはホームページまで
ホームページ:kanmorikai.wixsite.com/moritasite