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関西森田の会 報告書

 

Vol.23  2018.8.27

【第21回 関西森田の会・講習会の報告】

 

■ 第22回関西森田の会が、2018年6月16日に岡本記念財団の会議室で開催されました。当日は15人集まり、桑田省吾さんに『縄文/森田』というテーマで話をしていただきました。

  前回の関西森田の会で、森田療法は1919年に森田正馬によって「発明」されたものではない、彼によって「発見!」されたものである。森田の考えは、縄文の古代から脈々とあったものである。それを森田正馬が「森田療法」としてまとめたにすぎない。ならば我々も、縄文の人々の生活と世界の捉え方を探り、そこに「森田」を発見してみようじゃないか!ということで、今回の話は『縄文/森田』ということになりました。

 

■ 13000年前、最後の氷河期が終わり、日本の気温が6~7度(東京と知床の温度差)上昇し、クヌギ・コナラ・ミズナラ・クリ等の広葉樹が広がる豊かな森ができ、そこにはシカやイノシシが住み、海では内湾ができて、アサリ・ハマグリ等の貝類やイワシ・ブリ・マグロ・サバ等の魚が取れ、海に近い小高い丘の上に人々が定住し、縄文の時代が始まりました。

  これが紀元前300年前の弥生時代の始まりまで、実に1万数千年の長きにわたって続くのです。500人近い人々が住んでいたと言われる青森県の三大丸山遺跡は別格としても、日本各地に100人近い人々が集落をつくり、リーダーはいてもみな平等にかつ平和に暮らしてきました。

 

■ この間関西森田の会では、森田療法の「不易・流行」、すなわち変わらないもの(不易)と、その時々に変る「体」(流行)というかたちで話し合ってきましたが、今回の不易は、縄文の人々がそうであったように、「私と自然が一体。すなわち私は自然。自然は私」ということ。森田療法ではそれを「自然服従」と言いますが、私が自然に服従するのではなく「私が自然、自然が私」なのですから、服従する・しないの問題ではなく、私と自然が一緒に動いているのです。

 

■ 桑田さんの話は、NHK大河ドラマ『西郷どん』の話から始まりました。奄美大島へ3年の島流しの刑を受けた西郷どんを迎えに来た大久保利通に、西郷どんは「おいはここで生きる力をもろた」すなわち、薩摩藩によって農作物は全部搾り取られても、釣りや狩りでその命をいただける。「人の愛っちゅうもんを教えてもろたとじゃ」すなわち、奄美大島では人々は皆対等に、唄い踊り、明るく優しくつながっている(奄美大島では、まだ縄文文化が生きている!)

  最近縄文人の核DNAが解読され、現在の日本人と共通するのは12%とされていますが、桑田さんが紹介するように「縄文文化は日本の深層文化あるいは基礎文化である」(梅原猛)であります。西郷どんの頃の奄美大島だけではなく、今も私たちの生活の基礎になっているはずです。縄文は今も生きている。

 

■ 「食べ物は煮て食べ、海産物を中心にして時には生で食べるなど、日本食の原型もすでに縄文にできあがっていた。――(中略)――森羅万象に生命が宿り、山や森に神聖さを感じ、死して魂は山に帰ると考え、物を大切にして役に立った物を感謝を込めてカミに送り、人々を敬い、祭りで結束を深め楽しみ、火に神聖さや水に清めの力を信じるなど、精神生活の多くも縄文時代に形成され、今日に至るまで受け継がれてきた」 (岡村道雄『縄文の生活誌』)

  そこには自然と一体の私がいて、自然と生を共にしてきた縄文の人々がいる。それは今も同じはず。しかし私たちはつい、私に対峙した自然を考えてしまう。自然を何とかしようと考えてしまう。縄文の当時も、たとえば狩りをするのが上手な人、漁をするのが上手な人、家を建てるのは上手な人、トチノミの大量加工(アク抜き)が上手な人、踊りに秀でた人など、得意分野の違いはあったが、ただそれだけ。やる仕事に応じてリーダーはいたが、ただそれだけ。1万数千年の長きにわたって、ついに階級は存在しなかった。それは、縄文の人々は自然と対峙するのでなく、自然と一体であったから。

 平均寿命が30歳で、出産した子供の半数以上が成人するまでに亡くなってしまう時代に、怪我や病気や死の不安、火事や天災の不安は絶えずあったであろう。不安と共に生きるのはそうするのが自然であった。不安と対峙するから、不安になる。

 

■ 教師である桑田さんは、学校現場でも縄文の知恵に気付きなおしてゆく。「集団の中で、自分でできることを自分でできる範囲で黙々とやる」「難しいことは一人でやるのではなくチームを組んで、その一員としてやる」「自分の得意なことを、みんなのために役立てるという気持ち」「自分に合った役割。そこに優劣はない」「成果よりも、一員としてただそこで自分のことをする」。

  そして再度「自然と対峙しない。不安と対峙しない。自然と一体になり、不安と一体になる。私が自然であり、自然が私である。私が不安であり、不安が私である」

(文責 仲野)

 

 先日ワールドカップが終わりました。日本は開催前のゴタゴタがありながらも大健闘のベスト16でした。初戦の開始数分で相手が退場したり、グループリーグ最終戦では物議を醸したり、色々とありますが、今回は別の話をします。

 

 ベルギーに敗北した後、日本のロッカールームがきれいに片付いている写真をFIFAのスタッフがツイッターにあげたことがニュースになりました。

 実はこれはベルギー戦後に限った話ではなく、またA代表(いわゆる日本代表)以外の年代別代表でもやっていることだそうです。あれだけ衝撃的な敗戦の後でも、「感情はさておきやるべきことをやる」。サポーターがスタジアムのゴミ拾いをしているのも同様ですが、森田療法の生きた教材は本当にどこにでもあるものですね。

 

 本を読むことは大事です。勉強をすることももちろん大事です。しかし、生きた教材に学ぶことを忘れた知識はどれほどの価値があるのか、と思うことがしばしばあります。森田療法は本で学ぶことだけでは身につかない類の「生きる知恵」です。そしてそれは日常生活の様々な場面に見いだせるのです。学びというものは決して一本線ではなく、色々なつながり方、それも思いもしないつながり方があるものだと私は考えるのですが、皆様はいかがでしょうか。

(文責 矢野)

 

 

 

【第22回 関西森田の会・講習会予告】

 

 先日ある人と話をした時のことです。森田療法は入院療法として1期から4期の4部構成となっていますが(臥辱期・観察期・軽作業期・重作業期)、その人は「必ずしも分ける必要はないかもしれません。日常では明確な線引きがなくともどこかの期のように過ごしているでしょう」といった趣旨のことをおっしゃいました。

 現在、純粋な神経症の人は減っていると言われており、森田療法も昔のまま使えることが少なくなっていると言われています。そのような状況を考えると、各時期の特徴を理解した上でいかに現代的に加工するかが現代の森田療法の課題です。外来森田療法が中心となっているのも現代に合う形としてなのですが、どうしてもそれだけでは難しい部分がある(以前に議論した「体得」はまさにその典型)。

 次回は「臥辱」をテーマとして、いかなる要素が臥辱で重要なのか、それを成り立たせる形式は今までの臥辱以外に考えられないか、体験会に臥辱の要素は組み込めるのか、等を検討して、時代にマッチした臥辱の形を浮かび上がらせようと思います。

(文責 矢野)

 

 

 

☆第22回 関西森田の会講習会

テーマ:「現代に合わせた臥辱の再定義」

担当:岡本重慶、森泉智男、ナカノ・花クリニックのみなさん

日時:平成 30年 10月 27日(土)16:00~18:00

場所:岡本記念財団事務局会議室

 

参加者の皆さんは臥辱についてのイメージを考えてきて下さい。

 

☆第22回 関西森田の会例会(親睦会)

日時:講習会終了後

場所:お初天神近くのお店

会費:3000円程度?

 

☆毎月体験会やっています!詳しくはホームページまで

ホームページ:kanmorikai.wixsite.com/moritasite

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